前回の要約でアフリカの事が少しずつ分かってきたので、ちょっとずつアフリカに興味がでてきたよ。でももっとアフリカのことが知りたいな!!
分かりました。今回も椿進さん著の『超加速経済アフリカ LEAPFROGで変わる未来のビジネス地図』の後半部分、第6章~第10章を要約するので、もっともっとアフリカのことを知ってもらえると思います!!
目次
第6章 アフリカは巨大市場になりつつある
都市の発展状況に合わせて商品を送り出すロレアル
アフリカには、すでに多くのグローバル企業が進出し、一定の事業規模を実現しています。アフリカ経済の発展に応じて進出し、戦略的に事業を広げているグローバル企業もあります。
象徴的なのが、世界大手の化粧品会社、フランスの「ロレアル」です。ロレアルはアフリカで大きく6つのブランドを展開しますが、ブランドごとに展開する国を分けています。
アフリカはとにかく巨大。アフリカ大陸に1ヵ所拠点を置いて、そこでアフリカ全体を見る、ということは不可能です。
まずは直営の拠点をヨハネスブルグ(南アフリカ)、ナイロビ(ケニア)、カイロ(エジプト)、ラゴス(ナイジェリア)、カサブランカ(モロッコ)とコアの5都市に置いています。
次に、ブランドごとに進出するタイミングを分けるといった戦略をとっています。
例えば「SoftSheen-Carson」というブランドがあって、これはロレアルとして基礎的なヘアケア商品群を扱うブランドで、新興国展開の先兵として最初に展開するブランドであり、アフリカの主要国29ヵ国(※2014年時点)に展開しています。
サムスンはアフリカで数兆円の売り上げを実現している
グループ全体で約22兆円(2019年)の売上高規模がある韓国のサムスンですが、アフリカでも1995年に事業を開始し、45ヵ国で事業を展開しています。
主力商品はテレビ、洗濯機、冷蔵庫などの家電、さらにはスマホなどとなっています。
アフリカ統括拠点は南アフリカで、生産工場をエジプトと南アフリカの2ヵ国、販売ネットワークを11ヵ国に展開しています(2016年時点)。
従業員も1000人を超え、すでに売り上げは、アフリカだけで約1兆~2兆円規模になっているようです。
サムスンの海外展開のすごいところは、駐在員の多くが片道切符という事。例えば、特定の国の駐在員を前提とした採用を行い、赴任後は基本異動も帰国もない。一生、その国なのです。
だからサムスンの駐在員は腰が据わっており、現地に長く根付いて、現地の暮らしを徹底的に学ぶよう指示されます。
中国はなぜアフリカに深く食い込もうとしているのか
1960年代~1980年代にかけてアフリカを席巻した日本の家電メーカーに代わって、アフリカのトップブランドになったのはサムスンやLGですが、最近ではOPPO、vivo、ファーウェイ、小米、など中国メーカーが急激に追い上げています。
中国はすでに、アフリカにとっての最大の貿易相手国です。売るのも買うのも、ともに最大。実は中国がアフリカに本格的に目を向け始めたのは、2003年頃からです。そこから圧倒的な存在感を出すことになったのです。
中国のアフリカ進出の最大の目的は「資源の確保」と「国際世論の形成」のようです。アフリカの国連における票は54票もあるので、アフリカを仲間に取り込むことは、国際世論の形成上、大きな意味を持つのです。
さらに近年はアフリカを「市場」としても捉えているようです。物価水準が近いため、中国の商品がそのままアフリカ売れる、またアフリカ人も、中国に買い付けにたくさん来ています。
こうして中国は、貿易で輸出入ともに最大相手国となり、インフラ投資や人の交流なども大規模に行い、アフリカに大きな影響力を持つようになりました。
第7章 アフリカは日本企業がもったいない状況にある
40年前は今の約3倍の日本人がアフリカにいた
今、アフリカに進出している日本企業は約500社、拠点は約800あります。日本人の数は、外務省の統計では約7500人(2019年)。
実は1970年代から80年代前半頃まで、日本人は今の約3倍、アフリカにいたそうです。背景にあったのは、日本の高度成長。通信インフラの敷設、市場開拓など、今の中国と同じように多くの日本企業が進出していたのです。
しかし、1970年代まで順調に成長を続けていたアフリカに、変化が現れます。1980年代から90年代の20年間は、アフリカの死と呼ばれますが、経済成長がほとんどできなかったのです。
最大の理由は、資源価格と一次産品の価格低迷です。1973年と79年に石油ショックが来て、資源価格が大きく上がったのですが、1980年代以降、資源価格は長期低迷したのです。
日本は1990年代に入ってバブルが崩壊。それ以降、日本企業は次々に撤退することになったようです。これが、アフリカから日本人が減っていった大きな理由でした。
中国の進出と資源バブルでアフリカが再浮上
1990年代に日本企業が次々に撤退していく中、アフリカにやってきたのが、韓国企業でした。そして先にも書いた通り、2003年から中国が大規模に進出してきます。
そして中国が資源を爆買いしたために、2003年頃から石油価格を含め資源バブルが始まります。同時に中国はアフリカ投資も推し進めたために、まさにアフリカ経済はここ2003年から2016年まで急成長を迎えることになりました。
ただ、石油をはじめとした資源価格は、あまりにも上がり過ぎた。結果的に2016年に資源バブルが崩壊。大きく価格を下げて、ナイジェリアなどの産油国を中心に、アフリカ経済に大きなダメージを与えました。
再び日本の大企業の進出が始まっている
一時期、アジアのどの国よりも数多くいたアフリカの日本人ですが、今や中国の100分の1以下。しかし、今、日本企業の進出が増加し始めています。
古くから進出していた自動車メーカーや商社は、その規模を拡大しています。自動車メーカーが進出すれば、部品メーカーも進出していきます。
ただ、進出企業数は増えていますが、米国や中国に比べると、まだまだ少ない。現在、アフリカの日本企業の進出数が493社/795拠点(2019年)。これから10年ほどで、日本企業の数が今の3~5倍になる可能性は十分あると思われます。
中古車のネット販売で大ブレイク
アフリカ全体の自動車販売台数は、推定約314万台(2015年)。このうち新車は162万台、中古車が152万台。つまり、新車と同じぐらいに中古車が売れるのが、アフリカです。
そしてアフリカでは日本の中古車が大人気になっています。特に東アフリカでは右ハンドルの国が多いので、日本車のシェアは軒並み70%以上です。
この中古車の輸出を手がけて大きく成長した日本のベンチャー企業があります「BE FORWARD」です。何をやっているのかというと直接、アフリカの人に日本の中古車をネット販売しており、本格的に始めて5年ほどで大ブレイクした企業です。
サイトにはたくさんの写真を掲載します。お気に入りの車が見つかれば、本体価格、輸送費、保険なども含めて、届くまでの費用の全額が出ます。納得して購入ボタンを押し、お金を送金したら、日本から車が送られてきます。
本格開始からわずか5年で年商が500億円に
もともとアフリカには中古車のニーズがあった。そこで、アフリカ人にネットで直接、売れる仕組みを作った「BE FORWARD」。実はこの会社、年商約500億円規模になっています。
直販なので、価格も安くなります。運ぶのに船便で2か月。現地で整備が必要ですので、ローカル企業と提携して現地で整備も行う。先払いなので回収リスクや資金繰りの苦労も少ない。
今ではアフリカのみならず、モンゴル、ミャンマーなどにも展開。調布に大きなコールセンターを作って対応しています。
第8章 アフリカは国内格差がまだまだ大きい
アフリカ各国で家庭訪問してわかったこと
筆者の会社ではアフリカの家庭訪問を累計で100件近く行っており、国もケニアやモロッコなど数ヵ国。お宅を訪問して、リビング、台所とお風呂場を見せてください、とお願いして家賃、年収、なども聞いています。
家庭訪問をはじめた7年程前は収入の低いルワンダの農村では、電気も水道もガスもトイレもなく、土壁で屋根は草葺きの自宅もありましたが、ここ最近では電気がどんどん地方の農村部まで引かれてきています。
アフリカでは、1階に住んで、お金ができたら2階を作ることがよくあるそうです。もっとお金ができたら、3階を作る。自分でDIYのように作っていくのです。地震がほとんどないのでこういうことができてしまう。
そしてGDPが1000ドルを超えると、政府が主導で近代的な住宅公団を作っていく。まさに、エチオピアなど一部の国でこれが始まっています。
ルワンダの首都キガリでの豊かな暮らしとは
ルワンダの首都・キガリはとても美しい街です。官庁や銀行、ホテルなども立ち並ぶ首都の中心部には、5つ星ホテルのマリオットやセレナがあり、近代的なショッピングモールもできています。
アフリカに来たら、子供の学校の心配をする人もいますが、実はルワンダには世界中から大使館や国際機関、NGOやNPOの職員がやってきているため、彼らの子供向けの学校があるのです。だから、特に低学年の教育はレベルが高いそうです。
治安も心配かもしれませんが、ルワンダはアフリカの中では安全です。夜も女性が出歩いても大丈夫なレベルです。
腐敗の程度は国によってまちまち
途上国に行くと、だまされるのではないか、賄賂を求められるのではないか、と考える人もいます。しかし、今はUberが出てきたおかげで、と言っていいほどになくなりました。
Uberは多くのアフリカの国で利用できますので、これを使えば安心です。事前登録のクレジットカード決済なので、その場で現金を渡す必要もなく、おつりをごまかされる心配もない。
汚職は、腐敗認識指数が低い国には、相当に残っているようです。アフリカ諸国は総じて指数が低い国が多いのも事実です。いろいろな審査がなかなか進まない、なんてことも多々聞きます。
腐敗認識指数が低い国では、ビジネスの取引でも、汚職の慣習があることが多いようです。一部の国では車を運転していると、警察官が些細なことでからんできて、署に来るか、などと言ってくる国もあります。
ナイジェリアで始まった大交通渋滞
前述しましたが、一人当たりGDPが1000ドルを超え、ここから3000ドルくらいまでの間にできてくるものに、公団住宅と高速道路があります。
ちょうどエチオピアのアジスアベベでは、公団住宅が大量に建設されています。中国が作った「東方工業園」という巨大な工業団地もあります。2008年開業、1期233ha(東京ドーム48個分)、累積投資3億ドルだそうです。
現在、アフリカで渋滞がとんでもなくひどくなってきているのは、ナイジェリアのラゴスや、ケニアのナイロビです。ナイロビも、ここ5年で、高速道路、バイパスが整備されてきました。モンバサロードという幹線道路の立体化や、高架高速道路化などの計画も出てきています。
第9章 アフリカは驚くような巨大開発を行っている
西アフリカにドバイを造るという壮大な計画
今、アフリカ各地で、大きな開発が次々に計画され、一部は実行されています。その筆頭格といえるのがラゴスの「Eko Atlantic」。ナイジェリアの大財閥グループ「Chagoury」グループによる「西アフリカにドバイを造る」プロジェクトです。
約2000億円をかけて、1000haの埋立地を作り、千代田区と同じ広さの土地を創出。そこに住宅の他、ホテル・商業施設・オフィス棟を兼ね備えた街を作り出します。住宅は25万人が居住できる規模の施設も建設予定です。
西アフリカはナイジェリアを中心に5、6億人が暮らすアフリカで最もポテンシャルのある地域のひとつ。しかし、ビジネスとしての核となる場所・都市がありませんでした。それを埋立地によって創出しようとしているのです。
中国の一帯一路構想でアフリカが広く結ばれる
中国の「一帯一路」の一環として、ケニアでは「ナイロビ新幹線」と呼ばれる高速鉄道が、2017年5月に開通しましたが、これは中国の技術と資金(約8割が中国の支援)で出来上がった高速鉄道です。
しかし、ナイロビ新幹線はこれで終わりではありません。すでに開通しているジブチ⇔アディスアベベ間をはじめ、エチオピアやウガンダ、ルワンダ、南スーダン、コンゴなど、東アフリカが広く結ばれる計画になっているのです。
中国の海外への投資がいかに凄まじいか。海外投資は毎年のように増え続けていき、2017年時点では2653億ドル(新規契約額)にものぼります。
一帯一路での全世界への投資のうち、アフリカには実に29%も投資している。これは、東南アジアへの27%よりも多く最大です。以下、南アジアに10%、中東に10%、東アジアに5%などと続きます。
そしてアフリカへの投資の内訳を見てみると、最大の投資先はナイジェリアで約1兆2000億円。継いで、ケニア、アンゴラ、エチオピア、アルジェリア、ザンビア、ガーナと続いていきます。これは「一帯一路」構想の一環で進められています。
第10章 アフリカは4つの進出パターンで勝負する
新たなビジネスモデルの発展と実証の場
今後日本企業はどのようにアフリカとのつながりを作っていくべきなのか。
・1つ目は、資源や一次産品などの獲得の場として進出すること
石油、ガス、銅、ダイヤ、レアメタル、タコ、ゴマ、マグロなど
・2つ目が、将来の有望市場として進出すること
単独進出、第三国連携、資本提携など
・3つ目が、生産拠点としての進出(※アジアなどの次の有望な生産拠点と見て進出する)
新規工場新設、M&A
・4つ目が、新たなビジネスモデルの発掘と、実証としての進出
金融、医療、物流、ITなど、イノベーションの社会実験の場として活用
アフリカでは今、新しいビジネスがどんどん産まれてきています。日本では既得権益者がいてできない、しかし、アフリカなら既得権益者が少なく、できることが多いのです。
また、貧困層が多いのもアフリカです。「貧困の撲滅」というSDGsの第一項目はまさにアフリカのコアテーマであり、ソーシャルベンチャーやソーシャルイノベーションが起きている現場でもあります。
当たり前が当たり前ではないからこそできること
アフリカには、先進国には当たり前にあるものが、まだまだありません。アフリカでは、当たり前が当たり前ではないのです。だからこそ、できることがたくさんあります。
今、アフリカで成功しているビジネスは、そこができているものが多いと感じます。アフリカの真のニーズに気が付くこと、それを商品化・サービス化すること。さらに当たり前のことを当たり前として実践すること。
日本の最大の強みは過去の成功例を知っていること、そして「当たり前」のレベルを知っていることです。すなわち、日本の1960年代、70年代、80年代で起きたことが起きる。日本では「当たり前」のことをちゃんとできる仕組みを作り、しっかり教育していくということです。